電子通貨サービスのマルコペイ/カドモス シングルウインドウで世界中の船員の生活を支える
公開日:2026年05月11日
更新日:2026年05月12日

世界の海を舞台に働く船員たちの暮らしを、金融の力で変えようとする挑戦がある。日本郵船が2019年、世界最大の船員輩出国であるフィリピンのマニラで、現地パートナーのトランスナショナル・ダイバーシファイド・グループ(TDG)とともに立ち上げたマルコペイ社(MarCoPay Inc.)だ。この構想に共鳴したのが、総合商社の丸紅と金融大手の三菱UFJ銀行である。各社がそれぞれの専門性を持ち寄り、船員コミュニティーに寄り添う新たなサービスを共創してきた。そして25年、日本郵船は次なる一手を打つ。多様な国籍の船員を対象に給与支払いサービスを展開するドイツのカドモス社(Kadmos Holding GmbH)の買収。二つの電子通貨サービスを連携させることで、船員、船主、船員配乗・船舶管理会社を支える「シングルウインドウ」を構築する構想が動き出している。
自前の電子通貨ライセンスで拓く
マルコペイ社が本格的に事業を開始したのは2021年。フィリピン人船員とその家族の福祉向上を掲げ、電子通貨「マルコペイ(MarCoPay)」による給与支払いを中核に据えたプラットフォームを築いた。マルコペイ社は、フィリピン人船員に対するデジタル給与支払いプラットフォーム事業者として唯一、フィリピン中央銀行から電子通貨発行者のライセンスを取得している。日本郵船からマルコペイ社に出向している清原隼人氏は、「取引先は着実に増え、現在は船員配乗会社など60社以上がマルコペイを利用している」と語る。日本郵船グループの利用もあるが、顧客の9割超はグループ外の企業と、そこに雇用される船員だ。フィリピン通貨ペソ建て取引に強みを持つマルコペイは、フィリピン人に特化したサービスとして同国内での認知を広げている。
マルコペイ社の事業目的は大きく二つある。
一つ目は、船員配乗会社にとって煩雑だった給与送金業務を電子通貨で効率化し、同時に船員の利便性を高めることだ。通常、船員の給料の一部は船上で現金で支払われるが、それを電子通貨に置き換えることで、船員はスマートフォンのアプリなどから、家族への送金、ドルで受け取った給料の現地通貨ペソへの交換、他の電子通貨への交換、銀行やノンバンクでの現金化も行える。船長や船員配乗会社にとっても、多額の現金を管理する負担から解放される。
もう一つが、船員を中心とした海事産業コミュニティーの形成だ。外航船員はフィリピン国内でも高い給与水準にある一方、期間雇用という特性から、その経済的価値が正当に評価されない場面も少なくない。ローンの利用などで不便を感じる船員もいる。そこでマルコペイ社は、船員の「本来の価値」を顕在化させ、コミュニティーの規模を生かすことで、有利な条件のローンや保険、航空会社や自動車メーカーと連携した旅行商品、車両購入の優遇サービスなどを提供してきた。
フィリピンから、あらゆる国籍へ
25年、日本郵船グループの電子通貨事業は新たな局面を迎えた。船員向け給与支払いプラットフォームをグローバルに展開するドイツのカドモス・ホールディングスを7月に買収。サービスの対象は、フィリピン人船員から世界中の船員へと広がった。
マルコペイ社のサービスはフィリピンの電子通貨ライセンスを基にしているため、フィリピン人に特化したサービスであることが強みでもあり、課題でもあった。日本郵船の推計では、世界の船員は約200万人。そのうちフィリピン人は約30万〜40万人だが、マルコペイ社が直接カバーできるターゲットゾーンは、フィリピン人船員の配乗比率が高い船主、船員配乗・船舶管理会社が中心で、その船員数は約10万人程度にとどまっていた。あまねくフィリピン人船員にサービスを届けるために、また、より大きな市場へ挑戦するために、フィリピン人以外の船員向けサービスをどう構築するか。その答えが、カドモス社の買収だった。
両社のサービスを組み合わせることで、フィリピン人船員比率が低い顧客や、インド人をはじめ多国籍の船員を起用する顧客にもリーチできるようになる。まさに求めていた、マルコペイ社との補完関係が成立した。
顧客基盤も広がる。マルコペイ社は従来から、日本の船主や船員配乗・船舶管理会社を中心としたアジアでの活動に強みを持つが、カドモス社が加わることで、ギリシャ、ドイツ、北欧など、欧州の海事産業集積地の企業へのサービス拡大を狙える。
25年10月には、カドモス社が英国の電子通貨ライセンスを取得した。従来はパートナー企業を介して金融機能を提供していたため、サービス展開の制約や着金までの時間、送金手数料の高さが課題だったが、自前ライセンスに基づくサービス構築により、こうした課題を解決していく見込みだ。
ライセンス取得主体となった英国企業KDMSペイメント社(KDMS Payments Ltd)に日本郵船から出向している小林豊氏は、「顧客が一つの窓口で、カドモス社とマルコペイ社のサービスの提供を受けられる体制を作り上げたい。カドモス社の英国ライセンスに基づくサービスは、日本郵船グループの船舶管理会社を起用したテストを実施の上、26年9月頃から外部顧客への提供を開始する予定だ」と話す。
今後は、幅広い国籍の船員をカバーするカドモス社を顧客の契約窓口としつつ、顧客が国籍構成に応じて、いずれかのサービスを選択できる形を想定する。「マルコペイ社は、フィリピン人船員に対して自信を持ってサービスを提供してきたが、多国籍の船員が乗り組む船では利用しにくいという課題があった。カドモス社のサービスによって、各国籍の船員へ適切な送金サービスを提供できるようになる。この協業は大きな価値を生む」と清原氏は語る。
マルコペイ社とカドモス社の取り組みは、海運業界を支える重要な存在である船員のウェルビーイングを推進するものでもある。キャッシュレスが当たり前になり、デジタルネイティブの船員も増えてくる時代。ワンストップでシームレスなサービスの早期実現を目指す。
プロジェクトを動かすキーパーソン
次のステップへ挑戦
マルコペイ社 清原隼人 プレジデントCEO
KDMSペイメント社 小林 豊 ダイレクター
清原氏
小林氏
—— 日本郵船に入社した経緯と、これまで担当した業務について教えてください。
小林
2007年に入社しました。海運会社を志望したのは、海運が世界を支える産業というイメージがあったからです。入社後は港湾グループ、米自動車船グループ、NYK Business Systemsを経て、船舶事業グループでカドモス社の買収に携わりました。25年10月からは、英国の電子通貨ライセンスの取得会社であるKDMSペイメント社に出向しています。日本郵船はジョブローテーションの多い会社なので、新しい仕事に対する戸惑いはありません。海運業界は仕事の幅が広いと感じます。さまざまな産業の顧客のみならず、造船所や舶用メーカー、運航を支えてくれる船員や船舶管理会社が存在し、多様な人たちのおかげで海運業が成り立っています。
清原
私は01年に銀行に入社し、04年にキャリア採用で日本郵船に入りました。日本郵船での仕事の半分はドライバルク分野で、事業企画に関する仕事に多く携わってきました。最初は製紙原料グループでオペレーションやチャータリング、営業などの業務を一通り経験し、その後は企画グループで全社的な予算管理の仕事などを担当しました。その後、米国のビジネススクールに2年間通い、会社経営や事業のマネジメントを学びました。帰国後は、LNGグループで投資管理、製鉄原料グループやバルク・エネルギー事業統轄グループで船隊整備の仕事を担当しました。直近は、当社グループによる東京湾のレストラン船“レディー・クリスタル”の後継船の新造プロジェクトを担当し、25年10月からマニラのマルコペイ社に勤務しています。金融分野のバックグラウンドに加えて、ドライバルク時代に船主や船舶管理会社と関わる中で得た経験、事業企画や留学で培った知見を、現在の仕事に生かしていきたいと思います。
—— 電子通貨による船員向け事業に携わる意気込みを聞かせてください。
小林
カドモス社のサービスの対象は船員の給与というニッチな分野ではありますが、奥深い海運業の深部に携わることができますし、船会社にいながら金融の経験ができていることは大きなチャンスだと捉えています。他社でもデジタルバンクのような取り組みはありますが、多くは金融機関との提携によるものです。われわれのように、事業会社が独自の電子通貨ライセンスを持って金融事業を展開しているケースはあまり多くありません。現在のライセンスでは預金や融資は行えませんが、電子通貨事業が順調に成長した先には、そうした次のステップにも挑戦したいと考えています。海運ビジネスでは用船料や燃料費など、非常に大きな資金が動きます。将来的には、日本郵船がデジタルバンク事業を手掛けている、という姿もあり得るかもしれません。
清原
マルコペイ社はビジネスの基盤が出来上がり、日本郵船の電子通貨事業は次の成長ステージに差し掛かるタイミングに入っています。責任は重大ですが、非常にチャレンジングで面白い局面にあると感じています。
——
海技者の仕事を志す人へのメッセージをお願いします。
小林
船上ではマニュアルやルールに沿った行動が求められるため、自分の個性を十分に発揮できないと感じることもあるかもしれません。ただ、まずはルールをしっかり学び、経験を積むことで、陸上を含めた活躍のフィールドは確実に広がっていきます。
当社の事業はこの10年ほどで、洋上風力発電や電子通貨ビジネスなど、かつては想定していなかった分野へと踏み出してきました。そうした分野では、ルールに迫っていく、ルール作り自体に関与していくといった挑戦ができますし、脱炭素への取り組みなど明確なルールのない時代にチャレンジしていくためには、ルールに基づいた海上経験というバックグラウンドが生きると確信しています。また、海外の船舶管理会社などでは海技者のマネジメントを行うことが多いため、「船乗り」特有の話題があることも多く、うらやましいなと思うこともあります。
清原
船員・海技者を志す人たちに伝えたいことの一つは、海技者の活躍のフィールドが広がっていることです。例えば、電子通貨事業を担当している日本郵船の担当チーム長は、自社養成の海技者です。船の運航に関わるだけでなく、新規事業開発や会社の買収など、海技者は広いフィールドで業務に携わっています。
2点目は、活躍の場が世界に広がっていることです。例えば、重要な船員輩出国であるフィリピンには、他社も含め船長や機関長経験者が多く駐在しています。
3点目は、さまざまなサポートを得られる環境が整っていることです。カドモス社やマルコペイ社は、船員の生活の質を高めて、仕事に専念できる環境を作ることを目的に事業を行っています。それに共鳴し、サービスを利用してくださる船主、船員配乗・船舶管理会社が増えています。海事産業は海技者に大いに期待を寄せています。共に働く仲間として、最大限サポートしていきたいと考えています。
2026年3月31日発行の海事プレス増刊号を再編集






