初の女性機関長として、後進に夢を伝えていきたい
公開日:2025年05月09日
更新日:2025年05月09日

船のエンジンや発電機、ボイラーなどの機器系統を管理し、安全な運航のために重要な役割を担う機関士。その機関士を統括する責任者が機関長です。2025年4月、日本郵船初の女性機関長が誕生しました。機関長に、機関士という職業を選んだ理由や仕事の醍醐味、機関長としての意気込みなどを聞きました。
海の仕事への憧れ、船のスケール感に魅了され機関士の道へ
高校生の頃から海の仕事に憧れて、神戸大学の海事科学部(現・海洋政策科学部)に進学しました。福岡県の山に囲まれた地域で生まれ育ったので、進学を決めたときは「なんで海の学部に?」と家族や学校の先生に不思議に思われたほどです(笑)。
最初は船に乗りたいというよりも、理系の中でもとにかく専門的なことを学んで自分の視野や選択肢を広げたいという思いで船舶や造船、海洋系など海の世界に興味を持ちました。
大学1年生の春には早速乗船実習があり、練習船で初めて航海士や機関士の業務を体験しました。そのとき教官から、「将来、外航船に乗ってビルの5階建てくらいのエンジンに触ってみたいと思ったら、機関士の道に進みなさい」と言われて、それがとても心に響いたんです。
小さな練習船だったのですが、それでも機器を操作するのは船の心臓部を自分で動かしている実感があり、ワクワクしました。と同時に、これよりもっと大きなエンジンがあるのかと、そのスケールにも魅力を感じました。
学んでいく中で知ったのですが、船のエンジニアって主動力のエンジン以外にも、船内で必要な電気をつくる発電機や食材を保管するための冷凍設備、空調、エレベーターなど、船内のあらゆる機器の保守管理を自分たちの技術で賄うことになります。
陸上だと、例えば冷凍庫を修理するには専門の資格が必要ですが、船では「海技士」の資格があれば全ての機器の点検やメンテナンス、修理を任されます。幅広い知識が必要とされるので勉強しないといけないことが多いのですが、その点も特別感があって「機関士って面白い!」と思ったんです。そこから船の機器を専門に学ぶコースを選択して機関士を目指しました。
卒業後、2011年に日本郵船に入社しました。
2025年4月、機関長に登用された矢野美希。
船上生活ではチームワークとコミュニケーションが不可欠
入社後は見習い期間を経て三等機関士からスタートし、最初に乗船したのがLNG船(液化天然ガス運搬船)でした。その後、さまざまな種類の船への乗船経験や陸上勤務経験を積んで二等、一等と等級が上がっていくのですが、上級になるにつれて、船の運航により影響を及ぼす重要な機器を受け持つようになります。
私にとってのキャリアのターニングポイントは、二等機関士から一等機関士に昇進したときでした。一等機関士は船内において部下を持ち、マネージメントを行う役職。初めて部下を持って心構えが大きく変わりました。機器の操作自体も高度にはなるのですが、自分の言動や態度が周りに与える影響を深く意識するようになり、いわゆるマネジメント本を読み漁った記憶があります。
外航船ともなると数カ月単位で乗船するので、その間に機器のトラブルが起きることも。夜中に機器の異常を知らせるアラームが鳴って駆け付けてみると、油漏れやシステム障害だったこともありました。仲間と知恵を出し合って解決策を導き出すのですが、うまく改善できたときはとても達成感があります。機器が元気良く動いてくれると私たちも嬉しいので、実は出航前にはそんな願いを込めて、一つひとつの機器を「よしよし」とわが子のように愛でているんです(笑)。今やそのくらい機器への愛着も深くなりました。
1隻の船には、機関部として10人ほどのメンバーが乗り込み、その10人で5階建てのビルほどの大きさのエンジンの点検や修理を行う必要があります。
船上ではチームワークとコミュニケーションが何より重要です。
船内の雰囲気は、賑やかな学生寮に似ているかもしれません。あるときテレビで大学駅伝部の寮生活を見て、船内と似ているなと(笑)。数カ月間生活を共にするので、人間関係は濃密です。一等機関士ともなると部下のメンタルケアも大切な仕事です。心に余裕を持ち、部下が常にパフォーマンスを発揮できるよう細やかなコミュニケーションを心がけたいですね。
機関士としての仕事の醍醐味、求められる能力とは
10年以上機関士としての経験を積んできましたが、自分を信頼して仕事を任せてもらえることが何よりのやりがいですね。
特に記憶に残っているのが、二等機関士時代です。船は「開放整備」といって、定期的に大型メンテナンスを行う必要があり、エンジンや発電機を分解し、掃除や点検をして組み立て直します。この工程を、当時の一等機関士が全面的に任せてくれたことがありました。このような大事な仕事を任された喜びは、本当に大きかったですね。日々の作業工程を組み、部下に指示を出しながら協力して整備を行うのですが、これがなかなか簡単なことではないのです。整備後の試運転がスムーズにいったときの嬉しさは、何ものにも代えがたい機関士の仕事の醍醐味といえるかもしれません。
全ての機関士には、いかなるときも「諦めない姿勢」でトラブルの解決に当たることが求められます。ときには運航中に難易度の高いトラブルが発生することもあるのですが、もし機関士が諦めてしまったら、お客さまに荷物が届かなくなってしまいます。
機関長になると機関部全体の最高責任者という立場になるので、これまでのように自分で手を動かす機会は少なくなります。だからこそ諦めない姿勢に加えて求められるのが懐の広さだと思っています。経験を元に部下を信頼して仕事を任せ、部下が困ったときは手を差し伸べられることが重要です。経験豊富な機関部員と一緒に乗船すると、自分の考えよりも相手の方が最善なのではないかと思うことがあります。職位が上がるにつれて、上の立場である自分が物事を決定しなくてはと思いがちですが、そんなときこそ周りの意見を聞き、その上で何が最善策かを判断できる機関長になりたいと思っています。
念願の機関長登用。会社に還元し、後進に夢を伝える
機関長登用には資格取得や乗船履歴クリアなど、さまざまなハードルがあり、その最終段階が登用面接なのですが、機関長になることは私の長年の目標だったので、面接の通知が届いたときは感慨深く、このチャンスをつかむしかないという思いでした。ただ、今の自分があるのは、これまで日本郵船で出会った上司や同期、後輩、全ての人たちのおかげです。
そもそも日本郵船という会社を選んだのも、大学の乗船実習で、当時練習船の教官として出向されていた日本郵船の先輩社員の仕事ぶりを見て「こんな人達と一緒に働きたい」と思ったからでした。またある先輩は、私が機関長登用に関して悩んでいた際、「履歴に固執するより、まずは今置かれた状況で最大のパフォーマンスを見せて、その上で周囲に認められる機関長になることが大事」と言ってくださって、その言葉は初心を忘れないための心構えとして今も大切にしています。これまで周りに支えられ、会社から与えてもらった分、今度は会社に還元していくことが目標です。
一方で、世界を見渡してもまだまだ女性の海技士、特に機関士は少ないのが現状です。身近にいないので、なかなか知る機会も少ないのかもしれません。だからこそ日本郵船は女性の海技士が第一線で活躍できる場であることは、日本を代表する海運会社の一員として誇りを持って発信していきたいですし、少しでも多くの人に機関士として働くことの魅力を知ってもらえれば嬉しいですね。さらに当社初の女性機関長として、私がそのロールモデルになって後進に夢を伝えていければと思っています。
笑顔がトレードマーク。部下が話しかけやすいような雰囲気を心がけている。