時代の荒波を乗り越えて!「日本郵船氷川丸」の歴史と文化価値<後編>
公開日:2025年04月30日
更新日:2025年04月30日
1930年に竣工し、間もなく船齢100歳を迎える「日本郵船氷川丸」。今回は、国指定重要文化財としての歴史的価値と、船内の見どころをナビゲートします。
知的好奇心をくすぐる”海に浮かぶ文化遺産“
近年、“大人の社会科見学”が話題になっていますね。皆さんはどんなジャンルに興味がありますか? 「今まで疑問に思っていたことがストンと腑に落ちる瞬間が気持ちいい!」「共通の話題で盛り上がる仲間が増える。終わった後の打ち上げもね(笑)」など、すっかり心得顔の方も多いと思います。 “海に浮かぶ文化遺産”こと「日本郵船氷川丸」は、“大人の社会科見学”にもってこい。知的好奇心をくすぐる歴史と文化価値の持ち主です。
山下公園から望む氷川丸はもはやハマの風景の一部。
氷川丸が横浜で余生を過ごす理由
日本郵船が1930年に北米航路シアトル線に投入した氷川丸。その数奇な歩みについては前編( https://www.nyk.com/stories/01/03/20250425.html )で詳しく触れました。氷川丸は船歴約30年を経て引退し、1961年、横浜・山下公園の桟橋に係留され、「船客・船員でなくても、誰もが乗船できる船」として、第二の人生ならぬ船生(?)を過ごしています。
氷川丸は生い立ちからして横浜と縁がありました。氷川丸が建造されたのはかつて横浜にあった造船所の横浜船渠。船渠とはドック、造船所のこと。横浜は氷川丸の生まれ故郷ですので、氷川丸の引退を知った横浜市民から保存の声が上がるのも当然のことでした。そこで、日本郵船は解体を回避、プロペラなどを撤去した後、実は氷川丸と同い年、1930年に開設された山下公園に係留することを決めたのです。
観光船として営業を始めた氷川丸は、あるときはユースホステル(宿泊施設)に、またあるときは船上レストランや結婚式場など、横浜のシンボルとして広く親しまれました。その後、2006年に一旦営業を停止しますが、再び日本郵船の所有となり、大幅な復元作業を経て2008年に一般公開がスタートします。今、私たちが“大人の社会科見学”と洒落込むことができるのは、丁寧な復元作業を経て竣工当時の姿を取り戻した氷川丸ということになります。
いざ氷川丸の内部へ歩みを進めましょう!
見どころのエリアが一等客室と船室です。客船として最上級のもてなしが受けられる等級であり、復元作業においては、竣工当時の資料を元に忠実に再現されました。
一等ともなれば船賃も高額。利用できるのは皇族や外交官、経営者など、ごく限られた人たちで、それらの子どもたちを飽きさせない配慮として一等児童室も設けられていました。遊具があるのはもちろん、壁には絵が描かれていて楽しそうな雰囲気。描かれているのは、当時としては珍しい靴履き、洋装の子どもたち。童謡『赤い靴』を連想する方がいらっしゃるかもしれません。
続いては一等食堂です。天上の採光窓、美しく艶のある木壁、アールデコ調の各部の設えは見事というほかありません。1938年に乗船された秩父宮両殿下が饗されたディナーの様子が再現されています。
一等児童室。時代を超えて通用するインテリア。
吹き抜け天井から光を取り込む一等食堂。
見逃せない細部の装飾。中央階段の手すり中央にある氷川神社の神紋「八雲」。
一等社交室。一等客らが数々の深い会話を交わしてきた歴史を感じる。
一等読書室では柱形や天上灯が、一等社交室では入口ドアや柱、天上灯の装飾ガラスなどが竣工当時のオリジナルのまま使われています。特に一等社交室は氷川丸で最もオリジナルが残る部屋として注目に値します。ゆったりとソファーに座って、しばし往時の一等客気分を味わってはいかがでしょうか。
さらに順路を進むと、当時の船旅の様子を解説する展示コーナーに行き当たります。「横浜~シアトル13日間の船旅の過ごし方」「海外航路の意義」「上等なおもてなし」などの説明文は、読むほどに氷川丸での船旅の非日常を想像させます。当時使われていたコンパスの補助器具や信号鏡、気圧計などの展示も。
一等客室、一等特別室を見ていきましょう。立ち入り禁止エリアなので窓越しとなりますが、凝った内装は見応え十分です。日本の皇族や、“喜劇王”チャールズ・チャップリンも利用した一等特別室は、寝室、浴室、応接室の三室続きで構成され、床面積は約40㎡とさすがの広さで、椅子、机を除いて、ほぼオリジナルの状態で保存されています。当時の一等船賃は1人500円。1930年代は「1000円あれば家が建つ」という貨幣価値でしたから、いかに高額であったかご理解いただけると思います。もっとも、大多数が利用したのは格安の三等客室でした。こちらは2段ベッドの8人部屋。相部屋のよしみで親交を深めるなど、きっと楽しい船旅だったことでしょう。
一等特別室の応接室。
ベッドに置かれる飾り毛布は給仕の職人技で何十種類もの折り方がある。
いよいよブリッジへ。そこは船乗りたちの世界
館内からデッキへ出て深呼吸をしたら、お待ちかねの船乗りの仕事場、ブリッジへと上がります。ブリッジとは船舶の操船を指揮する操舵室のこと。前方を広く見渡すことのできる船の上部に位置しています。
戦前の船だけにブリッジにはアナログ計器が並んでいます。操舵輪、操舵制御装置、エンジンテレグラフ、伝声管、モールス信号発信器などなど、好奇心をくすぐるメカとのご対面が続きます。ここで見逃せないのが、なんと神棚。実は現在もなお、毎年夏と冬には船長職が武蔵一宮 氷川神社(埼玉県さいたま市)で安全祈願を行っています。
ブリッジに設けられた神棚。
木製の操舵輪を握れば気分は「ようそろう」※。
※「ようそろう」船の操縦において、今向いている方向へ直進してよしという意味で使われるかけ声。「ようそろ」「ヨーソロー」とも。
氷川丸は歴史を旅する“タイムマシン”
氷川丸は95年を経てなお現役。皆さんも氷川丸という“タイムマシン”に乗ってみませんか。重要文化財としての価値に関心を寄せるもよし。とりわけインテリアに熱心な方には氷川丸のアール・デコ内装が大きな学びになるはずです。仲間たちと和気あいあい“大人の社会科見学”を楽しむもまたよし。2030年に船齢100年を迎えんとする希少な船の歴史が息づいています。氷川丸船内は撮影もでき、SNSなどに発信するZ世代も増えているとか(プライバシーにはご配慮をお願いします)。
氷川丸の入り口付近にある「スターボードショップ」では、各種オリジナルグッズが販売されています。お勧めは「氷川丸一筆箋」。乗船記念にいかがでしょう。
次の休日はどんなご予定ですか。「初めて」の人はもちろん、「もう一度」のあなたも“氷川丸歩き”を楽しんでみませんか。
「氷川丸一筆箋」。谷井建三氏による氷川丸透過イラストが秀逸。
【観覧情報】
日本郵船氷川丸
入館時間10~17時(入館は16時30分まで)/月曜休館(祝日の場合は翌平日休館)/入館料一般300円他/電話 045-641-4362
【公式URL】
オフィシャルサイト
https://hikawamaru.nyk.com/index.asp