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当時の電話番号は加入申し込み順に1けたから3けたの数字が割り当てられ、東京の1番は東京府庁(現、東京都庁)でした。銀行や新聞社といった企業や官公庁、電話所※などが加入者の大半を占めており、個人加入は政府関係者や一部の経済人のみと、一般の人々には縁のないものだったことがうかがえます。 そんな中、東京の167〜170番に日本郵舩曾社、同 東京支店、同 艀掛(はしけがかり)、 |
同 荷捌所(にさばきじょ)、横浜の9番と10番に日本郵舩曾社支店、同 船客送迎部の記載が見られ、当社がいち早く電話サービスを導入したことが分かります。また、大隈重信(1838〜
1922)や前島密(1835〜1919)、後藤象次郎(1838〜97)などと並んで、東京の151番には当社初代社長の森岡晶純(1833〜98)、233番には三菱グループの祖である岩崎彌太郎(1835〜85)の弟、岩崎彌之助(1851〜1908)の名前が記されています。 その後電話加入者は急増し、電話設備の導入地域は次第に全国に広がっていきました。
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グループ報「YUSEN」 2007年3月号
【表紙のことば】 |
