船の歴史

| 建造所 | : | 三菱造船(株)長崎造船所 |
| 全 長 | : | 154.76メートル |
| 総トン数 | : | 11,931トン |
| 主 機 | : | ズルザー型ディーゼル2基 |
| スピード | : | 17.76ノット |
| 船 客 | : | 249名 |
船舶の性能や大きさで欧米の海運会社に遅れをとっていた日本郵船は、サンフランシスコ航路の浅間丸級、シアトル航路の氷川丸級 計6隻に加え、欧州航路でも、それまでの8,000総トンクラスの使用船舶に代えて1万2千トンクラスの船2隻を投入して競争力の増強を図りました。
姉妹船の靖国丸とともに欧州航路初のディーゼル船で、ロンドンと日本を結んだほかにも、ロンドンからアントワープ、ロッテルダム、ハンブルグを巡る「ノース・コンチネンタル・クルーズ」を行い、欧州の人々に好評を得ました。船内装飾は、後に人間国宝となる松田権六による蒔絵が起用されるなど日本風を多用し、落ちつきのある、見るからに美しい船でした。

運動室

特別室居間
しかし、第二次世界大戦が勃発してから2ヵ月後の昭和14年11月、英国テムズ河口ハーウィッチ沖を航行中に機雷に触れ沈没。迅速な救命活動により幸い犠牲者は出ませんでしたが、機雷の所有国はついに判明せず、抗議も損害賠償も宙に浮いたままとなりました。照国丸は、第二次世界大戦における日本商船最初の犠牲であり、日本が参戦する以前の唯一の被害船となってしまったのです。
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【関連リンク】
- 日本郵船歴史博物館 常設展
コーナー「5、戦争と壊滅」では、照国丸沈没時の航海日誌や新聞記事を展示しています。 - 日本郵船歴史博物館 ミュージアムショップ
照国丸の絵葉書を販売しています。