船の歴史

| 建造所 | : | 横浜船渠(株)(現 三菱重工業(株)横浜製作所) |
| 全 長 | : | 163.3メートル |
| 総トン数 | : | 11,622トン |
| 主 機 | : | B&W複動4サイクルディーゼル機関 2機2軸 |
| スピード | : | 18.38ノット |
| 船 客 | : | 一等 79名 二等 70名 三等 140名 合計 289名 |
その後、戦雲ただならぬ中、政府徴用船、および海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが、日本郵船の大型船では唯一沈没を免れたのです。
戦後も引き続き病院船のまま復員輸送に従事し、昭和22年に復元工事で貨客船に戻り、国内航路定期船、後に外航不定期船、昭和26年8月からはシアトル・ニューヨークおよび欧州航路定期船に就航しました。 昭和28年には内装をアメリカンスタイルに改装し、シアトル航路に復帰、フルブライト留学制度での渡航者約2,500人を含む乗客、約1万6,000人を輸送し、活躍しました。
昭和35年、船齢30年に達し、同10月シアトル、バンクーバーから神戸に寄港、係留地横浜への回航を最後に第一線を退きました。
太平洋横断254回、船客数は2万5千余名。
引退後は、係留地横浜で多くの人々に親しまれ、平成15年11月には横浜市有形指定文化財にも指定されました。竣工78年目にあたる平成20年4月25日、「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。
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【関連リンク】日本郵船の歴史コラムでは、さらにくわしく氷川丸の歴史について解説しています。
歴史の生き証人「氷川丸」〜その1〜
歴史の生き証人「氷川丸」〜その2〜
歴史の生き証人「氷川丸」〜その3〜
歴史の生き証人「氷川丸」〜その4〜(最終回)