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横浜に“海のスミソニアン”誕生 〜日本郵船歴史博物館オープン〜

2003年5月29日

時代を超えて、豪華客船大集合
 日本郵船歴史博物館(目黒征爾館長)が6月7日、横浜市海岸通3-9、郵船ビルにオープンします。従来の歴史資料館をリニューアルし、展示室も大幅に広くなりました。
 日本郵船は明治18年(1885年)の創業以来、海運王国日本の発展を担い、豪華客船「氷川丸」「龍田丸」などが世界の足として七つの海を駆け巡ってきました。
 同博物館には、これら豪華客船「浅間丸」「龍田丸」など10隻の大型模型が展示されます。なかでも「浅間丸」と「鎌倉丸」の模型は全長3メートル60センチ、実物の48分の1という巨大なもので、マニアにとっては見逃せない“夢の豪華船団”といえましょう。
 そのほか、音声や映像を駆使したタッチパネルで、喜劇王チャプリン(英)、理論物理学者アインシュタイン博士(米)、盲目・ろうあの三重苦を克服した教育家ヘレンケラー女史(米)、ルー・ゲーリッグら米大リーグ戦抜チームが乗船したときの様子もご覧いただけます。
 日本海海戦で「敵艦見ゆ」を打電した「信濃丸」の備品、太平洋戦争中に活躍・沈没した「能登丸」の船名板など貨物船の品々も展示され、空の博物館スミソニアン(ワシントン)の海洋版といった趣になっています。
大人も子どもも楽しめるスポットに
 約900m²の展示室のほかITライブラリーも開設され、現在の豪華客船「飛鳥」や大型コンテナ船、タンカーなど多様化した近代海運の状況を知ることもできます。
 こうした展示のほか、夏休みには子ども向けのイベントなども開く予定ですから、大人も子どもも楽しめる新たなスポットになるものと予想されています。
竹久夢二がいざなうメニュー 〜1940年の北米航路一等食堂にタイムスリップ〜
 昭和の初期に乗船客を楽しませた“船内一等食堂”が再現されます。開館を記念したイベントで、横浜開港祭に合わせて5月31日から6月30日まで、博物館近くのレストラン「イルドテラス」(同市中区新港町 ナビオス横浜1階)を一等食堂に見立て、食器・メニューから従業員の制服まで当時のままのムードを味わっていただこうというものです。
 当時、北米航路ではメニューの台紙に竹久夢二の画を使っていましたが、「イルドテラス」でも同じ台紙(復刻版)を使用、お客様にお持ち帰りいただきます。優雅な雰囲気を味わっていただくと同時に、夢二の世界に思いをはせ楽しんでいただけるものと思います。
 用意するメニューは、昭和15年(1940年)5月25日に龍田丸で出されたものと同じで、昼がコース料理と日本郵船式ドライカレーの2種類。夜はメインディッシュを選べる軽めのコースとフルコースの2種類です。
 横浜から米国(サンフランシスコ)やロンドンまでの航海で、乗客の最大の楽しみは一流のシェフが腕によりをかけた料理でした。「日本郵船の料理はおいしい」と定評を得ていました。
 日本のフランス料理には「帝国ホテル式」と「日本郵船式」の大きな二つの流れがあるといわれますが、郵船式とはむろん船内での料理です。
 料理がおいしいからと、スケジュールを調整して乗船する人も少なくありませんでした。来日した喜劇王チャプリンは昭和7年5月、米国に帰国する際、「氷川丸」を選んで乗船、日々の料理を楽しんだといわれています。
 ちなみに、チャプリンは日本料理、とくにてんぷらが好物でした。当時、船内ではよほど特別な理由がない限り和食を出すことはなかったのですが、チャプリンのためにてんぷらを出したと記録に残っています。
【参考データ】
一般公開
開館時間
休館日
入館料
:6月7日(土)午前10時
:10:00〜16:30(最終入館16:00)
:月曜日(祝日の場合は開館し翌日休館)
:一般500円(300円)、小中高校生300円(200円)
 ※ ( )内は15人以上の団体、および障害者、70才以上の料金
郵船ビル
1936年建築。人目を引く正面16本の石柱はコリント様式。コリント(コリントスともいう)はギリシア南部の港で、紀元前10世紀ごろから地中海の要衝として栄え、独特の文化様式を築いた。紀元前6世紀半ばに建てられたアポロン神殿のコリント様式石柱が今も残っている。

船内一等食堂を再現
  • <場所>
  • レストラン イルドテラス
     横浜市中区新港2丁目1-1
     横浜国際船員センター「ナビオス横浜」1階
      Tel 045-633-6008 Fax 045-633-6009
     支配人 = 岩下雄一郎
     営業時間= 7:00〜21:00(ラストオーダー)
  • <メニュー>
  • いずれも「龍田丸」1940年5月25日のメニューを再現したもの
    ◆ランチコース
    (A)日本郵船オリジナルレシピのドライカレー
    [ドライカレー]
     サラダ、コーヒー付き
    1500円
    (B)メインディッシュを選べる、軽めのコース
    [スープ]
     コンソメ 卵のロワイヤル
    [メインディッシュ]お好きな一品をお選びください。
     大鮃のシュプレーム 海老のソース
     うさぎのカツレツ トマトソース
     鶏のロースト ブレッドソース
     温野菜
     ベークドトマト・ほうれん草のマッシュボイルドポテト・ポテトの黄金焼き
    [デザート]
     コンポートにした果物のケーキ
    [コーヒー]
     コーヒーまたは紅茶
    3000円

    ◆ディナーコース
    (A)メインディッシュを選べる、軽めのコース
    [オードブル]
     キャビアのモスコヴィートトースト
    [スープ]
     コンソメ 卵のロワイヤル
    [メインディッシュ]お好きな一品をお選びください。
     大鮃のシュプレーム 海老のソース
     うさぎのカツレツ トマトソース
     鶏のロースト ブレッドソース
     温野菜
     ベークドトマト・ほうれん草のマッシュボイルドポテト・ポテトの黄金焼き
    [デザート]
    [コーヒー]
     コーヒーまたは紅茶
    4000円
    (B)フルコースの料理
    [オードブル]
     キャビアのモスコヴィートトースト
    [スープ]
     コンソメ 卵のロワイヤル
    [魚料理]
     大鮃のシュプレーム 海老のソース
    [肉料理]
     うさぎのカツレツ トマトソース
    [特別料理]
     めじまぐろのお刺身としいたけの吸い物
    [ロースト]
     鶏のロースト ブレッドソース
     温野菜
     ベークドトマト・ほうれん草のマッシュボイルドポテト・ポテトの黄金焼き
    [コールドブッフェ]
     ハムのワゴンサービス
    [デザート]
     カッテージチーズのプディング・ビスケット入りバニラアイスクリーム
     コンポートにした果物のケーキ
    [果物]
     オレンジ・林檎・マスカット葡萄・ナッツの盛り合わせ
    [コーヒー]
     コーヒーまたは紅茶
    8000円

「氷川丸」(1930-1961年)=1万1622総トン
昭和5年4月25日、横浜船渠(株)で竣工。昭和35年まで北米航路に就航。238回の太平洋横断で25000人を運んだ。食事とサービスは高い人気を呼んだ。
また、日本から生糸を、米国から機械類を運び日米貿易にも活躍した。
現在も横浜港の山下公園に係留され観光スポットとして親しまれている。

「龍田丸」(1930-1943年)=1万6955総トン
昭和5年3月15日、三菱造船(株)長崎造船所で竣工。香港-ロサンゼルス間を2週間に1回結び、上海、長崎、神戸、横浜、基隆(台湾)、四日市、清水などに寄港した。横浜出港当日は、乗客と見送り人のために東京駅から岸壁まで臨港列車が運転された。昭和13年7月22日には太平洋横断100回に達し、日付変更線上でパーティーが開かれた。
昭和16年12月、米国に向かう途中、真珠湾攻撃による開戦で横浜に引き返した。軍に徴用され昭和18年2月8日、御蔵島の東方で雷撃に遭い沈没、乗組員198名、乗船者1283名全員が死亡、悲劇的な最期をとげた。

「浅間丸」(1929-1944年)=1万6947総トン
昭和4年9月15日、三菱造船(株)長崎造船所で竣工。横浜からサンフランシスコまで(ホノルル経由)を最高速力20ノット、12日と7時間46分で横断した。
英国人にまかせた英国クラシック調の船内装飾は竣工前から内外で大評判をとり、ロサンゼルスでの一般公開では2日で1万5000人が押しかけた。
1等特別船室は寝室、居室のほか付添い人室、トランク室、浴室、洗面所が備え付けられていた。
パブリックスペースにはラウンジ、読書室、ギャラリー、喫煙室、理髪室、美容室、郵便局、写真用暗室があり、銀行出張所、デパートの売店、劇場、プール、カードルーム、体操場、児童遊戯室が完備、現在の豪華客船にあるものはすべてそろっていた。
戦争中徴用されたり、海軍の保養施設として使われたりしたが、昭和19年11月1日、雷撃により南支那海で沈没。

「秩父丸(後に鎌倉丸と改名)」(1930-1943年)=1万7498総トン
昭和5年3月10日、横浜船渠(株)で竣工。姉妹船の浅間丸、龍田丸隻は2本煙突だったが、これと異なり大きくスマートな1本煙突が特徴だった。
途中で「鎌倉丸」と改名したがそのいきさつがおもしろい。昭和12年の内閣訓令で、それまでのヘボン式表記「CHICHIBU MARU」からローマ字式の「TITIBU MARU」に改める通達が出された。これだと米国俗語の、ある卑語に通じるので、ヘボン式で再申請したが認められず、「鎌倉丸」と改名のやむなきにいたった。
戦争中やはり徴用されたが、昭和18年4月28日、フィリピンで雷撃を受け沈没。

「信濃丸」(1900-1951年)=6388総トン
貨物船。明治33年(1900年)、英国で竣工。建造。高速と船体の優秀さが認められ、日本海海戦では仮装巡洋艦として哨戒任務に就き、バルチック艦隊を最初に発見した。「敵艦見ゆ」を打電したことで有名。第2次大戦後は引き揚げ船としても活躍、昭和26年(1951年)解体されたが、鋼鉄船としては非常に長命だった。

「能登丸」(1934-1944年)=7185総トン
貨物船。昭和9年10月15日、三菱重工業(株)長崎造船所で竣工。米国航路で貿易品を運んでいたが、第二次対戦前に欧州航路リバプール線に就航。昭和14年9月、リバプールでドイツと連合国の開戦勃発に遭遇し、積んでいたドイツ向け貨物を没収された。19年11月2日、フィリピンのレイテ島で米軍の空爆を受け沈没。

<乗船した著名人の例>
アインシュタイン博士 1922年10月、「北野丸」に乗船し翌11月神戸着。
ヘレンケラー女史 1937年4月1日、サンフランシスコで「浅間丸」に乗船、同月15日、横浜着。
米大リーグ選抜チーム 1931年10月、ルー・ゲーリッグらがサンフランシスコで「浅間丸」に乗船。同月29日、横浜着。

以上

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その後、予告なしに変更される場合がございますので、あらかじめご了承ください。